火の鳥 黎明編
漫画が好きなのは自己紹介記事で書いた通り
仕事の話とどっちにしようかと思ったけど仕事の話の気分じゃないのでこっちにした。
これは思い込みや記憶違いなど多分に含んでいると思っていい。なんせ全くの記憶で書いてるからだ。
地元の本屋に足繫く通いはじめたのは大体小4くらいからだろうか?
最近は読むこともめっきり減ったが今でも漫画は好きだ。
日本の漫画のすごいところは漫画というよりも教科書であり科学書だったり哲学的だったり歴史書だったり、、なんといっても予言書で考未来学であるという事だろう。
漫画家の頭の中には未来図が詰まっていると言ってもいい。
その中で今夜は
火の鳥 黎明編を取り上げたい。
言わずと知れた漫画の神様手塚治虫である。神様扱いだが本人は喜怒哀楽のある非常に人間っぽい人物だったようである。そのあたりは又の機会にしてと、、、
これは教室になぜか朝日ソノラマの大判がありその時読んだ。小4だったと思う。
小4にして子供はどのように護られるか?とどのようにして一人前になるかを悟った漫画である。
今思えばずいぶんスレたた子供である。なんでそんなにスレちまったかはまた別の機会にw
細かいストーリーは省くが物語の中盤過ぎたあたりに災害が起こり大地は割れ溶岩は吹き出し、とある一家が逃げる。逃げる途中で母親が子供を落としてしまう。
このシーンだ。 母親は自ら飛び込んで助けようとする。が父親はそれを止める。手遅れだあきらめろ。と、、、
どう思うだろうか?男ってやつは自分勝手だとか母親の愛情はやはり深いとか、、、
自分は単純に傘の絵が思い浮かんだんだよね。
子供と並び傘をさす母親。
森進一のおふくろさんよです。傘は守る事の象徴だと思った。
その傘をさす母子に傘をさす父親。
子供は2重に護られているんじゃないかと思ったんだよね。
それはこれから生まれる子供も含んでね。
そして逃げ延びた先は絶望の穴の底 ぐるり崖に囲まれた穴の底。外には出られない。
穴に差し込む光を頼りに生き延びた動物たちと生態系を作り生きていく。しかし遺伝的に弱体化していく一家。
そこで父親は群れの若者に穴の外に出ろという。新しい血が必要だと。
若者は長い時間をかけ崖を登る。途中何度もあきらめそうになるが登りきる。
そしてこのシーン。
穴の外には何もない草原が広がる何もないんだよね。
そこに佇む若者の後ろ姿。
何故か若者の後ろ姿に希望の感情が見えるんだよ。未来に向かって生きていく希望ね。その希望の中にはさっきまで一緒にいた家族が感じられない。
自分らのころの小4くらいって多感な頃で親より友達が大事だったりすんだよね。もう自分たちの世界、社会があるのね。
その辺りが結びついて 親の事忘れて走っていくって当たり前なのかもって思ったんだ。
ずいぶんスレた子供だよなw
今、人の親になって思う事。 子供が大きくなって子供がどっかに出ていく。これは子育てが成功したことなのかもしれないなと思う。
あなたの助けはもういらない。自分でやっていく。もう大丈夫要らない助けは不要だ。一緒にいる必要もない。と言われることは親の誉れなのかもしれないな。と最近思う。
早く要らないと言われたいな。粗大ごみ的にもう言われそうだけどw
繰り返しますが記憶をもとにした主観的なお話に自分の感情を乗っけただけの、間違いや解釈のおかしな部分は多分にあると思っていい話です。ということを記しておきたい。


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