変えることの困難さを考える

コラム

特定のことを変えようとする場合に困難が付きまといます。

それを事例を挙げて考えたいと思います。

学校給食の問題について

単純化して考えてみたいと思います。

学校給食の費用や内容について様々な意見があります。これを一つとっても無償化の意見とそうではない意見とあります。
無償化する場合の問題として挙げられるのは不公平であるということでしょう。では完全に有償化した場合はどうでしょう?児童によっては食べられない児童が出ることが考えられるでしょう。
この議論に学校給食に仕事としてかかわる人の意見はどうでしょう。有償化無償かはどうでもいいけど無くなるのは困る。
これに最近では外国人の児童の多さがかかわってきます。

 

争点になりそうな事項の洗い出し

単純に考えただけでも

税の徴収と給付→公平の問題


食べられない児童がいる→憲法の基本的人権の問題 児童福祉法からの観点もありますね 


出入国管理について→外国人の流入に際しての児童の問題:これには憲法もかかわります。なぜかというと日本人のみに適用するのが適当と思われるものは除外されているためです。


事業者→関係する事業者の意見:食品を輸入する業者もかかわるでしょう。


まだまだ勘案されることは多いでしょう。

 

これらの影響


これらの各々の意向のある者の団体やメディアを通じた世論といわれる不確かなものの意見が政治や行政に影響を与えていきます。
結果中途半端な運営となります。


給付者からもお金を一部徴収しよう。→不公平感対策
払えないなら免除しよう。→憲法対策や児童福祉法の観点:結果払わないようにしようとする者もいるでしょう。

外国人はどうするんだ→出入国管理:正規の入国者は?難民は?不法入国者は?留学は?
業者にも仕事を流さなければならない。→経済対策産業振興の意味もあれば政治家への利益供与と選挙にかかわる場合もある


まだまだ広がりはあるでしょう。

結果

結果何処を切り取っても中途半端な施策となり、議論が巻き起こるたびにお金の支出方向に傾きます。支払先が無限に増えそれが投票結果に遠くから影響します。

お金の問題は切り離せません。そのお金をどこから徴収しますか?となれば国民から税の形で徴収するしかないでしょう。

何かを変えることを考えるなら、問題点を切り分け個別に考えるしかないのです。

仮に給食代を個人の全負担とするならば、払えない家庭があることは別の問題としなければなりません。

提供に対して正当な支払いをする事と、支払えなく提供を受けられない場合の施策は別の話なのです。

 

結論

特定の方策によって引き起こされる不都合に対する施策は別の段階の話。

これを一度に解決するのは不可能でそれをしようとすることが、変えられないことの最大の原因であると考えています。

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